長男が2歳の頃
東京の病院行きました
重度聴覚障害児の名医である先生に診てもらいました。
息子の発達の遅れに関しては、難聴があるとその影響で、情緒不安定であったり発達の遅れがみられることもあるので、様子をみましょうといった慎重な意見でした。
私は、息子の発達の遅れやマイワールドで生きている感じは 難聴だけが原因ではないと強く思っていました。
先生に もう一度お願いし、心理の先生に診てもらいました。
心理の先生は、息子とキャッチボールをしたり、ミニカーで少し遊んだだけで
「ほら ボールは見るけど相手を見ないでしょ こういう子は人に興味がないんだよ、でも将来作業所みたいなところに勤めて、頑張るから よっぽど普通の子供より真面目に働くから」と言われ
後は自分の輝かしい経歴を述べ、診察は終わりました。
その身も蓋もない言い方に、私も同席した父もその後どんより落ち込み 帰り道はお互いに励まし合いました…。
心理の先生の話しには、
だから この先どうしたらいいのかというところがすっぽり抜けていて、
私は困りました…
それを聞きに東京の病院まで行ったのに…
私は、長男の療育に
週3回位 地元の子供発達支援センターへ、
週1.2回ろう学校乳幼部に一時間かけて通うことにしました。
しかし、聴覚教育と発達の教育は分かれているので、統合的に教えてもらえるところはなく、しっくりきませんでした。
また
聴覚教育の中でも、幼いうちは聴覚が伸びるから手話は控えて口話を優先でコミュニケーションをとるという考えが根強くありました。
しかし、
うちの子の場合は、手話を使ったほうがいいのではないかという気持ちがずっとありましたので、自分で手話を勉強したり講座を受けに行き、手話 口話 身ぶり 絵カード
すべてを使ってその時に息子に伝わる方法で伝えればいいのではないかと考え実践しました。
発達の方もたくさん本を読み 今息子がどの段階にいて、何をすべきかいつも確認していました。
息子に今やっていることは合ってるという自信が欲しかったんだと思います。
あんなに頑張ったのはグータラな人生を過ごしてきた私の中で初めてでした。
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